『1本のゲームが私の人生を変えた』第4章

約一年の就職活動を経て、私は大手進学塾に就職した。

 

社会人になる前日。

3月31日。

 

「会いたいとかいうなら、画面の向こうそっちに連れて行ってよ」

 

そんなことを真剣に思いながら、

乙女ゲームをプレイしていた。

 

社会人になるという、不安しか無い未来が訪れ

乙女ゲームにすがっていた私。

 

それでも、その日は来てしまうのだから仕方がない。

 

毎日終電。

日付が変わってからの帰宅。

授業準備に追われる毎日。

校舎に行けば事務・雑務であっという間に時間が過ぎ。

授業こそ、教師の仕事のはずなのに息抜きにすらなっている。

土曜も授業、日曜はテスト。

病気で休んで、いなくなっていく先輩の先生。

当たり前じゃないことを、当たり前として受け入れている先生。

 

おかしい。

でも、やるしかない。

辞めろと言われればすぐ辞める。

何のために生きてるんだろう。

ずっと働いてても、死んだ目をして働くことしかできない。

 

(・・・このまま線路に飛び出せば、死ねるなあ・・・)

 

ホームで電車を待つということに、どれだけ体力を使ったか。

一歩前に出ないように。

ふ、と魔が差さないように。

必死だった。

 

毎日に、振り落とされないように。

 

そんな毎日を支えてくれていたのが、乙女ゲームだった。

カバンにひっそり忍ばせて、帰りの電車でちょこっとだけ。

 

(待ってくれてる子たちがいるから、がんばろう)

(仕事が終わったら会えるから、がんばろう)

 

それを考えるだけで違った。

乙女ゲームがなかったら、電車のホームで一歩前に出ることなんて造作もなかったかもしれない。

でも、私を待ってくれている子たちがいる。

私も、その子たちに会いたい。

 

だから、死ねない。

死なない。

 

それぐらいに、支えになっていた。

 

そして、仕事に慣れ始めた頃、才谷さんの言葉を思い出す。

 

「一度の人生、泣くより笑うぜよ」

 

そうだった。

今の私は、「流されている」んじゃないだろうか。

慣れとは、ある種、感覚が麻痺すること。

 

私がやりたいことはなんだ?

これでいいのか?

 

今思えば、辞める理由を探すのに必死だったのかもしれない。

でも、自分の時間もなく、やりたいことがやれない人生が続くのはまっぴら御免と思った。

 

大学で外国へ行って、

掴んだ気持ち。

 

外国に住みたい。

外国で働きたい。

日本を、外国の人に伝えたい。

 

その思いを胸に、私は会社を辞めた。

そして、日本語教師を目指し養成講座に通った。

 

養成講座を修了し、すぐさま外国で働けるよう面接を受けた。

外国にいる日本語教師の先生とスカイプでやりとりしたり、

英語で経歴書を書いたり。

 

一度の人生のために。

 

それを気づかせてくれた才谷さんのように、

行動あるのみ!

 

すぐに行き先は決まり、タイとベトナムの学校からOKをもらった。

日本にいる時に、外国人実習生に日本語を教えていた私は、

同じように実習生に日本語を教えたく、

ベトナムの学校を選んだ。

そこから2年弱、ベトナムで暮らしつつ日本語を教える。

 

それがアジア初進出だった私は、

慣れない生活に四苦八苦しつつ

そして、やっぱり乙女ゲームの力を借りつつ、

生きていた。

 

乙女ゲームは、

私の人生の一部で、

支えで、

救いで、

 

ただの「ゲーム」ではなくなっていた。

 

だから、伝えたいと思うようになった。

 

乙女ゲームのこと。

支えになること。

救ってくれること。

 

生き方さえも、変えられるということを。

 

 

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終章【ゲームは時間の無駄になるというけれど】