「『遙かなる時空の中で』・・・? 聞いたことある」
「ゲーム好きなら、やってみて!」
波風立たないよう、穏やかに、静かに高校生活を送っていたある日。
友達が1本のゲームを貸してくれた。
それが、私にとって初めての【乙女ゲーム】となる。
『遙かなる時空の中で3』
家に帰るなり、さっそく遊んだ。
普段はRPGを中心にやっていた私にとって、新鮮で、何もかもが新しいゲームだった。
特に、『遙か』は、RPGのように戦闘もあったので、すぐにハマった。
部活をして、家に帰ればゲームをしていた。
ゲームの取説を読んだ時、一番最初に好きだなと思ったのが「有川将臣」くんだった。
それ以来、今に至るまで将臣くんは私の支えになっている。
高校からの友人は、今でも私が「将臣くんがね」と話すと、「まだ続いてるの!?」と驚く。
そりゃそうだろう。10年以上だから。
それぐらい、インパクトが大きかったのだ。
かっこよくて、頼りになって。
現実の男とは、何もかもが違った。
彼氏がいなくなって、真っ暗闇だった心に、
「乙女ゲームの子たち」が光を差してくれた。
優しくて、頼りになって、
何より、
私を必要としてくれる。
私から裏切ることがなければ、
この人達は、裏切らない。
そう思うに至るまでに、時間はかからなかった。
必要とされている自分になれたから。
そこから、友達に他の乙女ゲームを借りるようになった。
金色のコルダや、アラビアンズ・ロスト。
ハマったら一直線の私は、貸してくれた友達よりものめり込んだ。
遙か3も、結局シリーズ全作自分でも買った。
その傍ら、BASARAなどのゲームもやって。
ゲームに出てくるキャラたちが、日々を支えてくれる糧となった。
これを読んでいるあなたは、「ありえない」と思うだろうか。
2次元のキャラに支えられている、なんて。
それとも、同意してくれるだろうか。
正直、ゲームのキャラを支えに生きている自分を晒すのはちょっと怖い。
だって、いないものを、相手にしているのだから。
でも、私の中には、確実に「いる」。
「いない人」じゃない。
彼氏と別れて
人を信じず、好きになることを辞めた私は、
二次元に逃げた。
二次元なら裏切らない。
応えてくれる。
他の人から見れば、歪だっただろう。
たかがゲームに、そこまでの思いで、と思うかもしれない。
でも、一つ、確実に言えることは
乙女ゲームは、私を救ってくれた。
暗かった心に、光をさしてくれた。
それだけは、間違いない。
だから高校の3年間、私はゲームの中で生きていた。
私は、私なりにそれで幸せだったし、何も文句はなかった。
むしろ、それが糧だった。
きっと、乙女ゲームがなければ、高校生活を楽しめなかったぐらいに。
そして、今の私がなかったぐらいに。
部活の面倒な先輩とのつきあいや、
他の生徒からのちょっとした陰口も、
乙女ゲームの男の子たちがいれば、なんてことはなかった。
そんなふうに、ゲームに逃げていたので、
現実と否が応でも繋がりができるクラス行事・学校行事が本気で嫌だった。
「みんなで協力して何かに取り組む」というのが、面倒だったし、バカみたいだと思っていた。
体育大会も「みんなで」やるのが嫌で、応援合戦なんかは審査員という堂々サボれるポジションを確保し、
文化祭も、準備までの一つだけ役割をもらって、それだけ済ませれば「義理は果たした」ってことにして、サボり。
だから、卒業アルバムのクラス行事のページには一切写っていない。
あの集団の一員であることが嫌だったから。
私は、そっちの人間じゃない。
今はそんなふうに仲良くしてても、
いつか離れる。
裏切る。
裏切られる。
そんなことを、心の奥底では思っていた。
祭り行事や、イベントも嫌いだった。
ディズニーランドのような「ただ楽しむため」の場所も。
みんなで何かやることが、「寒い」。
馬鹿騒ぎしてる人たちが、「アホらしい」。
そんなふうに思っていた。
そういう楽しさや、みんなで頑張ることを見て見ぬふりをしていた。
私はそんなところには混ざらない。
違うから。
今思えば、そんな私こそ「寒い」「アホらしい」けど。
そして、実に「もったいない」。
でも、その時は、
現実は冷え切っていて、
ゲームの中だけが、温かみのある場所だった。
ゲームだけが、心の底から「楽しい」と思える場所だった。
しかし、そんな
冷え切って、ツマラナイ現実を変えてくれたのも、
皮肉なことに、乙女ゲームだった。
乙女ゲームは、いつだって、
現実と
非現実の
どちらにも光を与えてくれたのだ。
だから今の私は、
どちらにも全力で向き合えるようになった。
そんなキッカケになった1本のゲーム。
私は、この乙女ゲームに出会って、
人生観が変わった。
そして、生き方を、変えた。
その出会いは、親元を離れ、他県で一人暮らしを始めた大学1年生のときだった。
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